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「松波酒造」若女将

金七 聖子さん(きんしち せいこさん)

http://www.o-eyama.com/

能登で採れた旬の食材を、輪島塗や珠洲焼といった地元産の器で味わう「能登丼」。
今や“能登の顔”ともいうべき存在に成長したこのプロジェクトを、
立ち上げから今日までリーダーとして牽引してきた金七聖子さん。
酒屋の若女将という本業を持ちながら、どうやって能登丼のプロジェクトに取り組んできたのか?
多田健太郎がお話をうかがいました!

もしも「姫どら」をやっていなかったら

 能登のお土産として人気を博している「姫どら」。これは、珠洲市で採れる「能登大納言小豆」を使ったミニサイズのどら焼きで、能登空港や多田屋の売店などでも取り扱っています。開発者は、異業種の女性が集まって結成された珠洲市の「のと珠姫」というグループ。ここに、金七さんも立ち上げから参加していました。

「珠洲は土地や気候が小豆の栽培に適していて、ここで採れる能登大納言小豆は大粒で味もよく、昔から高級和菓子などに重宝されてきました。京都や北海道といった名産地にも負けないくらいの品質なのに、地元の人にすらその魅力が広まっていなくて…。これをPRすべく、大納言小豆を使ったスイーツを作ろうという話から、2005年に生まれたのが『姫どら』でした」

 女性発信の街おこしという点や、どら焼きの持つ親しみやすさもあり、様々なメディアに取りあげられるなど、プロジェクトは順調に進みます。しかしこの過程で、金七さんは様々な“困難”を体験したとか。

「PRという点では、確かに成果を上げられたと思います。しかし、メンバーはみんな本業の傍らで活動しているわけで、続けていくのもひと苦労。また、人によって『注目されたい』『商売につなげたい』『単に楽しくやりたい』など、活動の目的もバラついてきました。ゴールを決めずにプロジェクトを進めることの怖さを味わったし、『誰かがやるなら協力したい』という傍観者的態度だけでは街おこしは難しいということも知りました」

 ここでの経験が、後の活動に活かされることになります。もしも金七さんが「姫どら」に関わっていなかったら、「能登丼」プロジェクトの成功はなかったかもしれません。

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「能登半島地震」からの復興、どう遂げる?

 2007年3月に起きた能登半島地震。最大震度6強を記録し、各地の建物が倒壊するなど、様々な被害をもたらしました。能登は元々、地震がほとんど起きない「空白域」といわれていただけに、住民のショックも大きなものでした。

「私の地元・珠洲市も大きな打撃を受けました。店頭のお酒が落下するなどの被害もありましたが、何よりつらかったのが、観光客のキャンセル。近隣の飲食店も含め、ほとんどの予約がキャンセルになりました。珠洲は元々、和倉温泉からのお客さんが流れてきてくれるような場所で、そこまで観光というものに力を入れてこなかったんですが…この地震で人が来ないことの怖さを心底実感しました」

 金七さんはその後、観光客の回復を目指して輪島市・珠洲市・能登町・穴水町が合同で立ち上げた「奥能登ウェルカムプロジェクト」に参加。当初は県庁から声をかけられての受動的な関わりだったそうですが、この地震によって「何かしなければ」という危機感が募り、プロジェクトに対する参加意識も本格化したとか。

「地震で減った観光客を呼び戻すため、まずは奥能登の魅力を発掘するところから始めたのですが、ここで実感したのが、地域ごとの“見えない境界線”でした。これは広域連携のプロジェクトだからこそ気づけたことかもしれませんが、みんな隣町のことすらあまり知らないんですよ。しかも、地元の水産物や農産物も、すごくおいしいのに、みんな当たり前のものだと思っていて…。PRのコンテンツになるという発想すらなかったんです(笑)」

 奥能登の魅力を客観的に見つめ直し、元からあるものを観光資源として活かしていく──。この取り組みが、やがて「能登丼」へとつながっていくのでした。

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ゼロから始めて売り上げ3億円以上に!

 観光客の回復を目指したプロジェクトは、最初から順風満帆とはいきませんでした。立ち上げ当初は「有名料理人による創作メニューを各飲食店で出す」という行政主導のプランがあったそうですが、多数の反対意見が出て頓挫。それから代案を考えることになり、ここで金七さんはリーダーに指名されます。

「みんなでアイデアを出し合っていたのですが、まとまりに欠け、“我田引水”な意見も少なくなかった。そんな中で『とりあえずやってみて、ダメだったら次を考えればいいのでは?』と発言したら、『ならばリーダーをやってくれ』と任命されてしまいまして…」

 やがてプロジェクトは、ある職員のひと言がきっかけとなり、大きく展開していくことになります。金七さんもハッとしたひと言、それは「能登のお米はおいしい」という“当たり前”の再発見でした。

「自分たちが毎日食べているお米がおいしいということにすら気づいていなかったんですよ。ホント、贅沢ですよね(笑)。能登にはおいしい肉や野菜、魚など、四季折々の旬の食材があります。ならば、それらをご飯の上に乗せてみよう。さらに、器やお箸も、輪島塗や珠洲焼といった地元のモノを使おう。そんなアイデアから生まれたのが『能登丼』でした」

 能登丼はここから快進撃を開始。各種メディアに取り上げられ、全国各地のイベントに参加。07年12月〜11年6月までに3億円以上の売り上げを出し、今では大手コンビニのサークルKサンクスで「能登フェア」が開催されるなど、着実な発展を遂げています。

「現在は57店舗が色とりどりのメニューを提供しています。みんなライバルであり、能登丼を盛り上げる仲間です。こうやって地元が活性化していくのは刺激的だし、何より私自身、能登のおいしいものに詳しくなれたのがうれしいですね(笑)」

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人間関係の困難を“アイデア”で乗り越える

 他の自治体から視察されるなど、今や“地方活性化のモデルケース”としても注目されている能登丼ですが、4市町をまたいだ官民合同で、しかも各地の飲食店を巻き込む形で進めていくこのプロジェクトには、当然ながら様々な困難が伴いました。

「具体的な作業は誰がやるのか、コストは誰が受け持つのか、協力することにメリットはあるのか──。とにかく課題は山積みでした。リーダーを引き受けた以上はちゃんと推進していきたかったので、月1回の会議の意見を宿題制にするなど、いろんなルールを設けたりもしたのですが…それでも参加者は徐々に減り、20人以上いたのが最後は5人に。また、『広域連携はムリ』『飲食の素人に何ができるのか?』など、まわりから多くの批判もいただきました」

 しかし金七さんは、そういった課題や困難を、具体的なアイデアで乗り越えようと試みます。

「例えば能登丼には『地元の器を使う』というルールがありますが、飲食店が輪島塗の器を持っているとは限りませんよね。とはいえ、購入を強制することもできません。そこで、市役所の倉庫に眠っていたレンタル用の器を貸し出しました。また珠洲焼も、“めし椀プロジェクト”という名目でお客様の声を提出することにより、若手作家の器を安価で提供していただきました」

 PRの方法に関しても、「能登丼」と書かれた旗を持って自らマスコミ各社を行脚したり、“ご当地丼”を持つ他の地域と交流を深める「全国丼サミット」を開催するなど、予算に頼らない効果的な活動を展開していきました。

「リスクやメリットを分け合う工夫をしていく中で、疎遠になった人々も戻ってきてくれました。そうやってみんなで盛り上げていこうというムーブメントにできたことが、一番の成果かもしれませんね」

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街おこしの秘訣は“非ボランティア”!?

 コンセプトをブレさせない、ツールを開放する、利益の受け皿を作る──。金七さんは能登丼を通じて、街おこしに大切な3つのことを学んだそうです。

「“能登の食材×地元の器”というコンセプトを行き渡らせつつ、中身や値段については各飲食店に委ねました。そして、能登にお金が落ちる仕組みについても考えをめぐらせました。例えば、能登丼を食べてくれたお客さんには使用したお箸をプレゼントしていますが、こうすることでお箸業界に利益が落ちますよね。食材が動けば流通も儲かるし、飲食店が賑わえば調味料やお酒の消費量も増えます。そうやってみんなで儲けていかないと、プロジェクトは続かなかったと思います」

 確かに能登を盛り上げていくためには、経済的な活性化が不可欠です。これは、みんながボランティアとしてやっていくだけでは達成できないことでしょう。

「私も酒屋という本業があるので、もちろん家族からの反対もありました。最初は、会議へ出席するついでにお酒の配達をしたりと、地道なアピールもしていましたが…今は能登丼のイベントでうちのお酒を使ってもらったり、活動を通じて知り合った人とコラボして酒蔵でコンサートをやったりと、いろんな仕掛けができるようになりました(笑)」

 自らも“つながり”という利益を有効活用しているところに、金七さんのクリエイティビティを垣間見たような気がします。

「何でもそうだと思いますが、“良さ”を知ってもらうって、エネルギーの要る作業じゃないですか。だから、計画の8割くらいを達成して、あとは当事者たちが楽しむことが大事なんだと思います。何といっても、おいしいものを食べたり、仲間とお酒を飲んだりできるのは楽しいですからね。このプロジェクトの成功は“続けること”にあるので、これからも楽しみながらやっていこうと思います(笑)」

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いつも自然体で笑顔も素敵な金七さん。本人はどう思っているかわかりませんが、地域に活力を与える才能を持った方です。たまに珠洲だったり和倉だったりでお話すると、面白いアイデアが浮かんでくる。そんな不思議なアシストもしてくれる能登の宝の1人です。

多田 健太郎

多田 健太郎
多田屋6代目若旦那

松波酒造 映像紹介

金七さんプロフィール

金七聖子さんプロフィール

金七さんに会いに行く

多田屋から車で125分

〒927-0602
石川県鳳珠郡能登町松波30-114

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TEL:
0768-72-0005
営業時間:
10:00~19:30
定休日:
1月1日~4日、お盆

http://www.o-eyama.com/

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