写真家
渋谷 利雄さん(しぶや としおさん)
「あばれ祭り」や「火祭り」、世界無形遺産「あえのこと」など、
能登に伝わる大小の“祭り”を半世紀にわたって撮り続けてきた写真家の渋谷利雄さん。
“祭りおじさん”の愛称を持ち、能登の残すべき文化、消えゆく景色を記録してきた渋谷さんに、
多田健太郎がたっぷりとお話をうかがいました!
能登に根づく“もうひとつの祭り”とは?
一般的に祭りというと、自治体レベルで主催するような大がかりなイベントをイメージするかもしれません。能登で言うと、「あばれ祭り」や「火祭り」なんかが有名です。しかし、この土地には“もうひとつの祭り”があります。それが、ユネスコの世界無形遺産に登録されている「あえのこと」に代表される、田の神や海の神に感謝の気持ちを捧げる祭り。これは集落、さらには家々という小さな単位で行われるもので、時期も様式も多種多様。すべて合わせると800以上も存在するという説もあり、能登は別名“祭りの国”とも言われています。
「人口あたりの祭りの数は、おそらく日本一でしょう。能登の人間にとって祭りは欠かせないもの。都会に出る若者にも、『盆や正月はいいから、祭りのときには帰って来いよ』と声をかけるくらいですからね(笑)」
渋谷さんはこれまで、能登の津々浦々をまわり、実に400以上の祭りをフィルムに収めてきたそうです。今なお尽きない祭りへの興味は、能登の歴史にも由来しているのだとか。
「日本海に突き出た能登半島は、太古より“表玄関”として大陸から流れ着く人が多く、中国や朝鮮などの文化が流入してきました。そのため、集落ごと、地域ごとに様々な文化が生まれ、現在のように多種多様な祭りが形成されたのだと思います。私が祭りを撮り始めたのは、それが子どもの頃から身近な存在だったというだけの何気ないきっかけでしたが、半世紀以上追いかけていても、まだまだ新たな発見がある。能登の祭りは飽きない被写体ですね」
豊かな祭りに危機の時代!?
膨大な数が存在する能登の祭り。豊漁を願い、無病息災を祈り、収穫の感謝を表す…などなど、春夏秋冬を問わず、どこかしらで何らかの祭りが行われています。それを丹念に記録し続ける渋谷さんですが、その楽しみは“人との出会い”にあるのだとか。
「集落や家ごとに行われる祭りの情報というのは、自治体のホームページに集約されているわけではありません。祭りで出会った人に、また別の祭りを教えてもらう。仲良くなった人から、家の祭りに招待してもらう。そうやって巡り会うしかありません。だから、私にとって祭りとは、それを通じて出会った人々との交流の場であり、飲んで、食べて、話すこと自体が大きな楽しみのひとつになっています」
このように、出会いを求めて「家にいる間もなく飛びまわってきた」という渋谷さん。“祭りおじさん”として愛されるゆえんです。
「しかし、そうやって撮り続けてきて感じるのは、この先どんどん祭りが減っていくだろうということです。能登も過疎化が進んでいますが、祭りの風習というのは、人から人へと伝承されていくもの。人がいなくなったら、当然ながら祭りは消えてしまいます。また、担い手の高齢化によって“祭りの簡略化”も進み、毎年の開催を隔年にと減らしたり、手順を省いて簡単に済ませたり…。仕方のないことですが、そうやって祭りの豊かさが失われていくのはさみしい限りですね」
祭りの減少は、能登にとって“文化の喪失”とも言うべき危機です。今こそ、渋谷さんの仕事に目を向けるべきではないでしょうか。
視察団をうならせたキリシマツツジの“朱”
ライフワークとして祭りを撮り続けている渋谷さんですが、その他にも、写真家として追い続けている三つのテーマがあります。いわく、「能登を彩る三つの朱(あか)」。真っ赤な花を咲かせる「のとキリシマツツジ」に、夏の夜空を照らす「キリコの灯火」、そして日本海に沈む「夕日」。これを渋谷さんは「三朱の神輝(さんしゅのじんき)」と呼んでいます。
「のとキリシマツツジは、葉や幹が見えないほどに深紅の花が咲き誇る、能登の名花です。5月に開花を迎えますが、4〜5日で散ってしまう上、手入れも非常に難しい。能登全域でも300本ほどしかなく、そのほとんどが民家の庭で栽培されています」
これまで渋谷さんは、多くのキリシマツツジをフィルムに収めてきました。民家を訪ね歩いての撮影は、人との出会いを大切にしてきた渋谷さんにしかできない仕事です。2010年の3月には、東京の新宿御苑でキリシマツツジの写真展を開催。6日間で4000人を集め、全国的なPRにひと役買いました。
「2011年には、キリシマツツジの本場である鹿児島県霧島市から議員さんが視察に訪れました。『本当に真っ赤なのか?』と、最初はみなさん懐疑的でしたが…実物を目にした途端、その鮮やかさに感動していました。能登人として、誇らしい瞬間でしたね(笑)」
ちなみにキリシマツツジは、「奥能登ウェルカムプロジェクト」の一環として、毎年5月に一般公開されています。みなさんも、ぜひ一度ご覧ください。
地道な記録が最大のPR方法?
能登の夜空を彩る夏の風物詩、キリコ。これは「切子灯籠」の通称で、御輿で担ぐ巨大な直方体のご神灯です。大きいもので高さ16メートル、重さにして約2トンものサイズになり、担ぐのに100人近くを要するというド迫力が魅力です。
「キリコは元々、神様が夕涼みをする際に、その足下を照らす灯りだったそうです。それが能登の各地でそれぞれ発展し、現在では『キリコ祭り』と名のつくものが約150か所で開催されています。また、キリコの種類もバラエティ豊かで、能登全体で700〜800基ほどあると言われています」
渋谷さんは各地のキリコ祭りをめぐり、その大半をフィルムに収めてきました。そうやって見えてきたのが、多種多様なキリコの姿だったそうです。
「キリコはそれぞれの祭りで独自に発展しており、姿形が非常にバラエティ豊か。キリコの原型と言われる『笹キリコ』の形をとどめているものや、担がないで立てるタイプ、京文化の影響を色濃く受けた風流なデザインなど、写真を撮り歩く内に様々な種類があることに気づきました。分類してみると大体25種類くらいでしょうか。そんな違いに注目してみるのも、キリコの楽しみ方のひとつだと思います」
このような発見ができたのも、各地の祭りをわたり歩く渋谷さんならではのこと。能登の文化を考える上でも非常に大切な発見であり、その仕事はもはや民俗学の領域に達しているような気がします。
「派手にPRして一時のブームを作るのではなく、継承されていく豊かな文化を地道に記録し続ける方が、能登のアピールにつながると思います。そんな仕事を、今後も続けていけたらなと思っています」
「窓岩」に重なる夕日の絶景
多田屋にとっても大切なもののひとつである、能登の夕日。渋谷さんも「三朱」のひとつとして、これまで様々な表情の夕日を撮影してきたそうです。
「キリシマツツジやキリコとは違い、夕日はある意味いつでも撮影が可能です。しかし、その姿をカメラに収めるのは、三朱の中で最も難しいかもしれません。雨や曇りだともちろん見られないし、かといって天気がよければいいというわけでもない。例えば水平線に沈む夕日ならば、海が荒れて波が引いたタイミングが見頃。非常に柔らかで美しい光を放ち、渚を黄金色に染めてくれます」
渋谷さんがオススメとして教えてくれたのが、輪島市・曽々木海岸の夕日。ここには大岩の真ん中に直径2メートルほどの穴があいている「窓岩」という名所があり、そのわずかばかりの穴の向こうに夕日が重なった瞬間が絶景だそうです。
「夕日というのはポイントとタイミングがすべて。だから、写真を撮るにはどうしたって土地の人間の方が有利です。絶対に見られるわけではないので、知人が能登に来てくれた際でも、夕日だけをお目当てに案内することができないのは玉にキズですけどね(笑)」
こうして津々浦々をまわり続け、撮った写真は何と40〜50万枚にものぼるそう。価値観を共有できる人にこれらを預け、能登の魅力を発信していきたいというのが渋谷さんの願いです。
「これまでフィルムに収めてきた風景の半分はすでに消えてしまいました。それでもなお、能登は掘り起こせば掘り起こすほど宝物が出てくる土地だと思います。世界無形遺産に登録された『あえのこと』だって、元は家々でひっそりと行われていた神事でした。今後も魅力を発掘していきます。能登を好きになってくれる人が増えていったらうれしいですね」
能登の祭りの写真を撮る。この1番の難しさは人との関係作りにあると思う。能登のお祭りには、その土地の人と仲良くなってこそ見られる景色というのが存在する。それに気が付いた時、渋谷さんの大きく温かい人柄をあらためて尊敬した。言葉ではなく背中で教えてくれた大切な事だ。