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注目文化 奥能登の「あえのこと」

奥能登の各農家に伝わる風習「あえのこと」。「あえ=もてなし」「こと=祭り」を意味するその民俗行事は、田の神様に一年の収穫を感謝し、五穀豊饒を祈る農耕儀礼です。ユネスコの無形文化遺産などにも登録されており、米どころ能登を代表する希少な農耕文化として広く知られています。そんな貴重な伝統文化を見学してきました。

 奥能登地域(輪島市、珠洲市、穴水町、能登町)の農家に古くから伝わる「あえのこと」は、稲作を守る“田の神様”を祀り、感謝を捧げる農耕儀礼です。1976年に国指定重要無形民俗文化財に指定され、2009年には、ユネスコの無形文化遺産に登録されました。

 「あえのこと」は、暮れ(12月5日)と春(2月9日)、年に2回行われるのが一般的です。暮れは“田の神様”を家に招き入れ、一年の収穫を感謝し、春を迎えるまで家の中で過ごしてもらいます。また、春になると五穀豊穣を祈願し、“田の神様”を田んぼへと送り出します。

 農家に代々伝わるこの伝統行事は、口頭伝承ではなく、行為伝承によって今日まで受け継がれてきました。各農家の子どもたちは、親の仕草を盗み見て、祭礼の段取りを自然と覚えていくのです。また、各家の奥座敷でひっそりと執り行われるため、密室性が高く、それぞれの家で独自のしきたりが生まれることとなりました。ですから、他家がどのような「あえのこと」を行っているのか、その詳細を知る術はありません。本来はそのような閉鎖的な儀式なのですが、近年、この伝統を後世に伝えようと、希望者が祭礼を見学できるようにするなど、各所で積極的な取り組みが行われています。

 暮れと春、どちらの「あえのこと」にも共通しているのが、能登近郊で獲れた山海の幸を用いて行われる“田の神様”への接待です。その際、“田の神様”は御夫婦二神とされているため、料理を乗せた神膳はもとより、盃や箸など、祭礼で使う道具を二組ずつ用意するのが大切な決まり事となっています。

 神膳に乗った料理は、各農家によってそれぞれ内容が異なります。大地主の家では、豪華な料理が振る舞われますし、小作農家は、できるだけ質素に神事を済ませました。代表的なお供え物は、コシヒカリの小豆ご飯、たら汁、大根と鱈の酢の物、鱈の子付けのお造り、尾頭付きの生のはちめ、甘酒など。すべての食材が能登の豊かな里山里海で獲れたもので、地物を用いて“田の神様”をもてなすのが習わしです。

 “田の神様”にお供えする料理ひとつとっても、その家ならではの理由がきちんと用意されています。例えば、ある農家では一般的に縁起が良いとされる「赤飯」をお供えしないのですが、その理由を教えていただきました。赤飯は米を蒸してつくるため、「蒸し=虫」を連想させます。昔は、いもち病などの田畑の病が流行ると、農作物が不作となり、農家は大損害を受けることとなります。そのため「虫=蒸し」を忌み嫌い、赤飯を避け、その代用品として「小豆ご飯」を用意するようになったそうです。

 その他にも面白い例がたくさんあります。焼魚をお供えしないのは、「田が焼ける」(干ばつ)を思い起こさせるから。多くの農家で「はちめ」という魚を神膳に並べるのは、別名「メバル」という名前と、農耕にとって縁起の良い「芽張る」の語呂合わせ。また、鱈の子付けを稲穂に見立てたり、二股大根で子孫繁栄を祈願したりと、例を挙げたら枚挙に暇がありません。

 近年、観光客などに向けて、見学会が開かれるようになりましたが、その代表的なものが、能登町の柳田植物公園内「合鹿庵(ごうろくあん)」にて毎年行われている「あえのこと」の実演です。今回は、2月9日に“田の神様”を田んぼに送り出す「田の神送り行事」を見学させていただきました。神事が行われている大広間では、多くの見学者が集まり、皆一様に実演者の一挙一動を見守っています。

 一般的な祭礼の流れは、奥座敷に神座を設け、“田の神様”を呼び出すことから始まります。そして、囲炉裏でお茶を出し、お風呂に入っていただきます。その後、祭壇で御膳を振る舞い、“田の神様”を田んぼへ送り出します。ただ、これはあくまでも実演者の家での進め方ですので、各農家ごとに順序や内容が異なります。それもまた「あえのこと」の面白いところなのです。

まずは“田の神様”に囲炉裏で一服してもらいます。夫婦の神様ですので、榊を置く座布団もきちんと2枚用意されています。

「あえのこと」の大きな特徴は、あたかも“田の神様”がその場にいるかのように振る舞う点です。さらに“田の神様”は目の見えない神様であると言い伝えられていることから、神膳に乗ったご馳走の内容をわざわざ口に出して説明し、家の中を案内するときも足元に十分気を配ります。目に見えない神様を実際におもてなしするわけですから、傍から見ると、一人芝居をしているようで不思議な光景に感じられるかもしれません。

玄関の土間に置かれた樽風呂。夫婦揃ってお湯にゆったりと浸かっていただきます。「田の神様、お風呂の準備ができました」、「田の神様、お湯の加減はいかがですか?」。家主が“田の神様”に話しかける様子を見ていると、徐々に神様の存在が身近に感じられ、「あえのこと」の世界へと深く入り込んでいきます。

あたたかな湯気に包まれて、とても気持ち良さそうな“田の神様”。こちらの神様は夫婦ですから、背中を流すというような野暮なことはせずに、夫婦二人きりでくつろぎの時間を過ごしてもらいます。この後、奥の座敷でご馳走を振る舞った後、“田の神様”を田んぼへと送り出します。

続いて、珠洲市にある大きな古民家を訪ねました。祭礼を取り仕切るのは、数年前に先代の父親から「あえのこと」を引き継いだばかりの田中茂好さん。

「田の神様、新年おめでとうございます。昨年はお陰様で立派な収穫ができました。誠にありがとうございました」と、真冬の冷えきった大広間で、何代も受け継がれてきた神事がいま始まります。

ご飯や煮物がよそられたお皿を見てみると、溢れんばかりにたっぷりと料理が盛られています。その理由を聞いてみると、とても興味深いものでした。この民俗行事の本質は“田の神様”に感謝を伝えることに他なりませんが、実は、それとはまた違う別の役割もあったのです。その役割とは、子どもたちにご飯をお腹いっぱい食べさせること。田畑で獲れた食糧を神様に捧げるという名目で、年貢の対象外となる収穫をある程度確保し、「あえのこと」が終わった後に、その料理を子どもたちに食べさせたのだとか。この祭礼には、そういった先人たちの“知恵”も見え隠れしているのです。

“田の神様”というだけあって、切っても切り離せない関係の箕(みの)と鍬(くわ)がお供えされています。箕の上には、縁起物の鏡餅が。お餅は、神様がお腹を空かせたときに食べるためのものだとか。

火打石で栗の木に火を着け、お湯を沸かします。静まり返った炉端にパチパチという心地良い音が響きます。ほら、夫婦仲良くお茶を啜っている様子が目に浮かんできませんか?

「田の神様、これより田んぼの方にご案内致します。どうぞ、若松様にお乗り下さい」。家主の口上を合図に、“田の神様”を家の外へと連れ出します。牡丹雪が舞う中、手には鍬(くわ)と甘酒が。その昔、この甘酒を元に、こっそりとどぶろくをつくったのだとか。大人たちの密かな楽しみです。

深い雪に覆われた田んぼに降り立ちます。ここに田んぼがあることすら想像できない程の豪雪です。雪の畑に鍬(くわ)を入れて土を掘り起こし、一鍬ごとに今年の豊饒をお祈りします。

“田の神様”が乗った若松様を田んぼの土に差し、周辺に御神酒(甘酒)を振り撒きます。米でつくられた御神酒を田んぼに還す作業ですが、すべてが“米”や“田んぼ”でつながっています。“米どころ能登”だからこそ根付いた風習だということに改めて気付かされました。

大雪の降りしきる中、「今年も良い収穫をお願いします」と、頭を深々と下げる当主の田中さん。最後にもう一度、五穀豊穣を祈願して、「あえのこと」は終わりです。

“田の神様”が乗った若松様は、田起こしの時期までこのままの状態で残しておきます。その後、田んぼの端に移動させて、松が朽ち果てるまでそのまま放置しておくそうです。田中家の皆様、貴重な場に立ち会わせていただき、ありがとうございました。

かつて農業を取り巻く環境は、農薬や機械など、農耕技術がいまほど発達していなかったため、自然環境に頼る部分がいまよりもずっと大きなものでした。そのため、自然の恵みを享受しながらも、畏敬の念を片時も忘れず、自然とうまく折り合いを付けて生活してきたのです。そんな暮らしの中で発生し、この土地に定着したのが、「あえのこと」という農耕儀礼です。世界的にも貴重な伝統文化が、今後も奥能登の地で大切に受け継がれ、未来永劫、末永く伝承していくことを切に願っています。

世界無形遺産にも登録され、ここ数年で一気に脚光を浴びたお祭り。秋と冬に田の神様をお迎えするこのお祭りは、その家々で、神様をお迎えする時に言う口伝というものがあり、用意する料理もそれぞれ違う。開放的な祭りではなく、口伝は家の主しか伝えられないなど、ひっそりと続いてきた。土地と共に生きる中で生まれた信仰は、半島という土地の環境も手伝って、今も残っているものがあるが、あえのことではそれを色濃く見る事ができる。ただし、見られる日と場所は今も限られている。

多田 健太郎

多田 健太郎
多田屋6代目若旦那

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〒928-0312
石川県鳳珠郡能登町字上町ロ1-1

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毎年12月5日と2月9日に柳田植物公園内「合鹿庵」にて実演の見学が可能です。そのほか、各家々の中で伝統的に行われています。

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